夫のモノをさらに手放す

スポンサーリンク

<この記事を書いた人>

スポンサーリンク

夫のモノはほとんどない

今日は、一人家に家にいました。

子供たちとの日常をどうにか変えたくて、子供たちの了承を得て、長男と次男の部屋をチェンジすることにしました。

それに当たり、夫が独身時代から使っていた棚を手放すことにしました。

引っ越し業者さんが2階にあげてくれた大きな棚。

自分たちでは絶対に出すことが難しいと思っていましたが、あっという間に子供たちは大きく力強くなり、次男と一緒に1階に下ろすことができ、手放すことができます。

今月、大物家具、小物家具を含め、また大きく断捨離をします。

いつまでも断捨離するものってあるのが恐ろしい(汗)。

 

ありがたさと不自由さ

いい意味でも悪い意味でも、我が家は夫との思い出があります。

どうあがいても、夫のことを思い出す家なのです。

いくら家具を変えても、いくらものを捨てても、夫の記憶が記録されている家。

それがどうしても私の中に刻まれていて、時に私を落ち込ませます。

 

家があることはありがたいこと。

でも、あるからこそ不自由さもあると、ここ数ヶ月でとても感じているところです。

 

なので、たくさんのモノを捨てて、もっと身軽になりたいという欲求が沸き上がり、自由とは何だろうと考えることが増えました。

結論、自由になるには、なるだけの器も必要という事が良く分かりました。

私個人の課題があり、自分の求める自由さはもう少し努力が必要だという事がよくわかりました。

手放すことで、本当に自分の求めているものと、自分自身を見つめることができると思います。

 

不便さと寂しさは連動する

夫が亡くなり頼る人がいないし、今回の部屋の移動は私が発案したこと。

ですので、黙々とひとりでこなしました。

力仕事もありましたが、苦になることもなく、淡々と、いやむしろ楽しみながらやっている自分がいました。

夫がいなくてもなんとかしてきた12年。

それがもはや当たり前。

誰に期待するでもなく、自分がしたいからしている、ただそれだけです。

人手が必要かというと、そうでもなくなっている。

ちょっと手伝ってほしいとすら思っていない自分がいます。

日常の不便さを感じることがとても減りました。

それと並行して、気持ちが落ちることも格段に減りました。

一人が当たり前、一人でも不便がない。

これが気持ちを落ち込ませないポイントなのかもしれません。

 


さて、少し環境を変えて、これからどんな風に変化するのだろう?

自分自身がとても試されることになるだろうと予感しています。

パートナーを亡くした方のカウンセリング

当事者として、寄り添ったカウンセリングをいたします。

お申し込みはこちら

↓クリックして応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

コメント