自分の死んだ後の行く末は自分で決めたい!
亡き夫(のお骨)はお墓にいます。
義父が自分のために購入していたところに、夫が一番に入りました。
お墓自体、義両親の息子への想いが詰まったもので、私は正直蚊帳の外でそのお墓が建てられたと思っています。
そのお墓はなんというか、義実家に遊びに行ったらなんとなく落ち着かないみたいな感じです。
お墓参りにいけば、きれいに掃除していますし想いを込めてお墓参りをしています。
でも、ずっと「ごめん、私はそこには入らないから」と夫には心の中で伝えています。
死んで一緒になりたい、みたいな思いはありません。
私は自由でありたいです。
自分の死んだ後くらいは自分で決めたいですよね。
想いがすれ違う
先日義実家に行った時に、お墓の話になりました。
息子に引き継ぐ話が一転して、義姉に引き継ぐという話をされたのはもう何年も前のこと。
その時点で、私の手から夫は離れた、決別を決意しました。
それと同時になんとなくの安堵感。
息子に私はその墓に入る気がないことは伝えてあるし、息子も了承しています。
そのつもりでいました。
自分の死後のことは自分で考えようと。
それなのに、義母は「あなたも入るでしょ?」みたいな事を言い始めました。
正直驚愕で、「義姉に委ねた時点でそのつもりはありませんでした」と伝えました。
でも、「こういうことは後々ゆっくり話そう」と言われました。
いや、断っているんだけど(汗)。
義姉も義両親もそこのお墓に入る予定。
そこに喜んで!と入るお嫁さんが、世の中にどのくらいいるのか、知りたいくらいです(苦笑)。
時が進み、死んだ後のことをリアルに考えるようになった義母の気持ちが変化したのかもしれません。
私の気持ちと、「今」の義母の思いは正直すれ違っています。
でも、そこでムキになることでもないですし、自分の意思だけははっきりと持っていればいいのかなと今は思っています。
子供の思いもある
私は夫を亡くした後、お墓参りが苦しかったことも、悲しかったこともあります。
逆に、あったからこそ、お墓参りをして、彼に近況を話したり、綺麗に掃除をして、いいことがたくさん起こりました。
だから、お墓があったことで救われた部分もあります。
だけれど、あればなんとなく「行かなきゃいけない」という思いも湧きます。
物事には一長一短あるけれど、私は、そこまで子供達の時間を使って欲しくないと思っていました。
しかし、長男は「どこかしらお墓に入ってほしい」と私に伝えてきました。
パパを幼い時に亡くし、今はたまにお墓参りに行くくらいですが、その経験をした彼の今の考えです。
子供の想いは尊重したいですね。
時代とともにお墓の意味が変化するかもしれないですから、ガチガチに決めることもないですが、彼らの意向に合った選択肢も持っておくことも必要ですね。
死んだら何も持っていけません。
何も子供たちにしてあげられることもないと思っています。
だからこそ、どう生きるか、に視点を向けていました。
でも、その後遺された人たちの人生や思いもあるし、夫を亡くした私はその人生を生きてきました。
だからこそ、色々なことと折り合いをつけて、自分がなるべく遺された人の手を煩わさないような準備や私自身の明確な意思も必要だなと思います。
死んでまで、縛られたくない、はぶれませんけどね(笑)。
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