死別後「命日」を節目としたパターンを認識しておく
死別後1年を超えてくると、同じようなパターンにハマっている場合があります。
離婚とは違い、私たちには「命日」という節目があります。
命日がお別れでもあり、スタートでもあります。
そこを基準に自分の気持ちを確認することもできますが、どうしても無意識に感覚が覚えていることでネガティブに反応してしまう場合があります。
それを自分で予測しておけば「また今年もこの時期が来たな」とゆとりを持って過ごすことができます。
そこに対処できる自分になりましょう。
時と共に少しずつ記憶や感覚も和らぎますので、それもうまく利用して対策を練っていくことをお勧めします。
空気と命日
私の場合、夫の命日は10月です。
毎年9月の秋祭りの季節で、祭ばやしの音とともに感覚が蘇り毎年とてもきつかったです。コロナでお祭りなくなり、その「発動スイッチ」自体がなくなりました。
11年目の私は至って平穏に命日を迎えました。
いくら温暖化と言えど、日本の季節の感覚は似たようなもの。
命日と季節的なものは、脳内記憶としてリンクしている方も多いようです。
季節は待つことなくやってきますので、その時期は要注意と捉えておくことです。
記憶が蘇りやすい季節が分かれば、その発動ポイントは何かを事前に思い出しておきましょう。
私の場合、手帳のその時期に「気持ちが落ちやすい。注意」など記載しておきます。
今ではオンラインでスケジュールをお知らせすることもできますから、利用します。
何で落ち込んだのかを明記するのもいいですが、逆び何が気持ちを上げるのか、うまく行ったパターンを記載しておくことをお勧めします。
いわゆる「勝ちパターン」を事前に自分に知らせてあげるのです。
五感から入ってくる季節的な情報が無防備な自分にダイレクトに影響しがち。
その前に、自分を穏やかにするパターンを刷り込んで習慣化させて仕舞えばいいのです。
受け入れる
この季節はこういう自分になりやすいと分かっていれば、それを全面的に受け入れるのも一つの手です。
この時期は、夫の治療でしんどかった時期だから、思い出ししんどくなるのも仕方ないと、特に対策を打たずに受け入れるのです。
いつも申し上げている「自分に寄り添う」強化月間だと思えばいいですね。
「無理しなくていいよ」と、「それはキツくても仕方ないよね」と自分を労ってください。
落ち込むことは良くないと言う思い込みは捨てることです。
望んでこうなったわけではないのだから、受け入れることです。
期待し過ぎない
去年よりも今年はきっと元気になっているだろうという期待は捨てること。
行ったり来たりしながら、人生進むものです。
あまり理想を立てすぎると、そこに行けない自分に必要以上に落ち込むものです。
期待する場合、そこに行き着かなかったまでも、近づけた自分を見ることはできますか?
10点満点で、0点からスタートして、たとえ6点でも、足りない4点ではなく、6点まで来た自分を認めて、この後も伸び代があると思うことです。
死別に関して前に進めても、他の部分でうまくいかないことだってありますよね。
人生100点満点はありません。
そこは100点になりそうな時に、もっと自分を幸せにしたいという欲が出て、ずっとそれを目指す旅ですよね。
だから、期待しすぎず、今の自分を信じてください。
命日や季節に無防備にならない
自分の好きな季節、苦手な季節と言うものがあります。
わかっていればこんなもんだと思えるけれど、無防備にしておくと振り回されます。
振り回されて疲れた自分で物事を考えると、ネガティブに死別の辛さと紐づけてしまいがちです。
命日も同じで、命日と季節もつながりやすいから、自分のパターンを把握しておきましょう。
事前に分かっておけば、凹みすぎることはありません。
「あれ?なんか変」とか思った時に、カウンセリングを利用することで、事前に自分に気がつくこともできます。
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