死別11年目の命日

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11年目の命日です

11年前夫は亡くなりました。34歳と思うと、本当に「私にとって」早いなと思います。

時計を見たときに、「命日か」と思った程度で、特に心が動くことはありませんでした。

そんな風に1日のうちの「一瞬」の気づき程度の命日です。

こうしてブログを書くことで、思いを巡らしますが、それがなければこの一瞬だけで終わりそうです。

11年目ともなると、この間まで生きていたのに、と思うこともなく、これからもずっと生きていきたかったのにという未来への絶望感みたいなものもありません。

彼に対して期待も絶望もなく過ごすことができています。

だからと言って夫を忘れたわけではなく、思いだせば彼はいつもの声で私の名前を呼んでくれます。いつも私の中にいるのです。

13回忌を前に

来年13回忌。

義母からは「やらない」とはっきり言われています。

そもそも1周忌以来両家で何かをやることはうちではしていません。

私は自分で自分の合った弔い方をしたいし、義実家とやること自体とても違和感があるからです。

やはり相入れない思いがあり、共に夫のことを弔うことに違和感を感じていたから。

それなのに、私にあえて「やらない」という事自体、なぜ?と思いますが、私が気にかけると思ったのかもしれませんね。

私はその時になったら考えようと思っています。

節目にやると気持ちは私個人がスッキリすると思います。

ただ、色々なタイミングがあるから、流れに任せると自然といいタイミングというものも見えてきます。

それが私の死別後の経験値として生きています。13回忌を前に私はそんな自由な感覚でいます。

命日は振り返る日?

命日は故人を思う日なのかもしれません。

私は、死別後数年で思い過ぎてしまったようで(苦笑)、もう彼に対して思うことは本当に少なくなりました。

11年目に彼に思うことは、ほとんどないです。

命日か、11年経ったんだ。

そんな気持ちというよりも、「事実」でしかないことが思い浮かぶ程度です。

それを、誰がどう捉えるのかは自由です。

冷たいと思い人はそう思い、それくらい楽になれるのかなと思う人は、きっとそうなる材料を探すのでしょう。

ただ私はそういう11年目を迎えています。

 

 

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