夫を亡くしてからしばらく、夫の事を思い返し、いつも後悔をしていました。
私が、あの時こう声をかけていたら、もっと彼にしてあげられたことがあったかな?はたまたこういう風に思っていれば…。
自分の思考に対してこんな風に思っていたのですから、自分を責め尽くしていたのだと思います。
でもね、今はこう思います。
いくら、大往生された人が身近にいても、そういう風に思うのではないかな、と。
私の大好きだった祖母は95歳で亡くなりました。大往生だと思います。
最後は施設に入っていました。
お休みなるとに会いに行って大好きなおやつを食べたりしました。
行けば喜んでくれるし、おしゃべりも楽しかった。
だからと言って、毎日行けないじゃないですか。
お休みの日も毎回毎回行けるわけじゃなかった。
で、残るのですよ、「もっと会いに行けばよかったな」という気持ちが。
その時は自分の無理のない範囲で、やれる事をやっていた。
もしかしたらこれを読んでいるあなたは、とても無理をしてその人のために、自分のできることを精一杯やったのではないでしょうか?
いえ、精一杯やったのです(もしくはやっている最中かもしれませんね)。
それをご自身がどうしても認められないのは、その亡くなった人を愛しているからです。
私は、後悔の気持ちって愛情の証なのではないかなと思います。
もっと、そばにいてあげれば良かった。
もっと好きだよと伝えれば良かった。
きっとその想いは、相手に伝わっています。
「十分だよ、ありがとう」きっとそう言ってくれています。
今は、悲しみに暮れて、心が閉じた状態かもしれません。
でもね、きっと聞こえてくるときがきます。
その人の、「ありがとう」が。
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