死別直後〜1年
死別直後は本当に辛いですよね。
人生が変わってしまうし、何をどうしていいのかもわかりません。
ただ、苦しい、ただ、辛い。
先のことなんて考えていられない日々を送っていることでしょう。
なんだかんだ訳もわからず命日が迫ってくると、
あれ?自分って全然変わっていないじゃない
と落胆する場合もあります。
死別後1年、きっと今よりももっと楽になっていたと思うかもしれません。
でも、結構しんどいと、いつ楽になるんだろう?と逆に苦しくなる場合もあります。
1年〜2年
命日を過ぎると、1年前を回想して、辛かった自分との比較が始まります。
1年前は夫がすでに亡くなっているので、思い出すのは死別後の辛い時間も入ってくることでしょう。
ここでのポイントは、死別直後の辛過ぎた時間よりはまだマシと言う感覚。
死別直後、何をしていたか記憶がぶっ飛んでいることもあるでしょう。
でもそれでも自分は生きてきた。
辛過ぎる1年を超えて、まだなお辛いけど、あの直後の痛みとは変化しているのだと、そこを見るようにしてください。
2年〜3年目
悲嘆の悼みは、大体3年で落ち着いてくるといわれています。
私の場合は、まだまだどん底で苦しかったのを覚えています。
あくまでも目安ですし、人それぞれなので、そこは一般的なことと比べないことです。
そして、自分の理想やイメージとかけ離れたことに落胆しすぎないことが大切です。
なぜなら、一番大事なことは「未来の自分をイメージしていた(できていた)」からです。
死別直後は、数年後の自分なんてイメージすらできなかったと思います。
でもイメージと違って残念と思える場合、自分が楽になるだろうという予測ができているということです。
未来を見る力ができてきたというのはすごい前進だと思いませんか?
イメージしていた自分はどんな自分ですか?
何が違って、何が足りず、逆に何かは近づいている部分もあるはずです。
そこも全部がダメとジャッジするのではなく、ここまでいけてるのに、ここはいまいちだなとか、案外ダメと思っている理由が死別以外のことで落ち込んでいただけなのかもしれません。
そうなると死別から立ち直れていないのではなく、他のことで落ち込んでいただけだと切り分けられるようになってきます。
極論自分
結局のところ、死別の辛さから立ち直るには、自分自身を受け入れられているかにかかっています。
それはいい部分の自分だけではなく、イメージ通りに行っていない自分丸ごと受け入れられているかどうかです。
死別して、愛した人と別れた痛みは薄れるけれど、全く記憶から消え失せることではありません。
夫の死だけでなく、それを経験した自分自身をどんな時でも受け入れてあげられるのかがポイントです。
無償の愛をご自身にあげて、あげて、あげまくってください。
イメージ通りの自分ではなくても、それも愛すべきあなたです。
笑っていないとダメですか?元気でいないといけませんか?
そのほうが心地よいでしょうけど、それにはまず笑えていない、元気がないあなたなの理由があり、それを自分自身が良き理解者として共感してあげることです。
自分がどこにいても誰といようとも、何にも影響されず味方でいてください。
あなたの未来、イメージした自分に近づくには、まずその愛で満たされてからです。
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