親の金銭感覚はどうだったかを考える
私は、金銭的に厳しい家庭で育った父と、どちらかというとお金に裕福な家庭で育った母という相反する金銭感覚の元で育ちました。
父はいつもお金には無限ではないと悲観的なことを言っていましたが、母はなんとかなると思って楽観的に捉える人でした。
父から、お金の愚痴を直接言われることがありました。
教育にはお金がかかる、大学浪人は認めないなどです。
子供にとって耳が痛い言葉ですよね。
逆に母は、やりたいと思ったことには文句も言わずやらせてくれました。
辞めたいと言えば何も言わずなくすんなり辞められましたが、逆に頑張っているねなど褒められることもありませんでした。
親のせいではないですが、親が喜びもがっかりもしない中、モチベーションを保つのは子供ながらに難しかったですね。
私は、いつもお金の心配をしながら色々なことに手を出してはお金がかかるという心配が襲っては辞めていたように思います。
親から受けた価値観はぐちゃぐちゃで、迷子状態でした。
明治生まれの祖母
お金の価値観で影響を受けたもう一つの人物は、同居をしていた母方の祖母。
私はおばあちゃん子で、祖母の影響を強く受けていることに、死別後ひとりになってから気がつきました。
床屋業をやっていて、かなり商売上手なワーキングウーマン。
家業を流行らせていたようです。
私が物心つく頃には引退し、祖父も他界してシングルだった祖母。
私が今シングルでやっていけるのは、祖母のシングル生活を見ていたからかもしれません。
祖母は、自分の趣味には惜しげもなくお金を使っていましたし、ハワイ旅行なども楽しむハイカラな人でした。
しかし、幼い頃の私の祖母の印象は「ドケチ」です。
お小遣いはほとんどくれませんでした。
周りの友達がおじいちゃんにお小遣いをもらったなんて話をきくと、羨ましいと何度も思っていました。
ただ、彼女が亡くなった後、私たち兄妹にお金をためていてくれたことがわかりました。
それを思うと、彼女はケチではなく、お金の使い方にメリハリがある人だったと思えたのです。
使うときは使う、自分を喜ばせる。
無駄なものにお金は使わない。
祖母は自分を楽しくさせる趣味や遊びに積極的に自己投資していました。
たまにお稽古の後に、お土産に買ってきてくれて、一緒に食べたのはいい思い出です。
ちょこちょこお小遣いはくれませんでしたが、お年玉は奮発してくれていました。
だから、彼女との思い出というのは未だに色褪せずに印象的。
生活自体はとても質素でした。
明治生まれで、戦争を体験しているからかもしれませんが、食事も普段はめちゃくちゃ質素で少量を残さず「ありがたい」と言って食べていました。
基礎化粧も色々塗りたくるわけでもなく、少量を大事に使っていました。
私と血が繋がっているのが信じられないくらい美白で、お肌もツルツルでした。
今あるものを大事にする人でした。
大切な人にはコツコツとお金を貯め、自分が亡くなった後にひっそりと渡す、私はそんな祖母を粋な人だなと思っています。
両親よりもこの祖母の感覚が今の生活を精神的に楽にしてくれています。
経験に使い、モノはあまり買わない
夫を亡くしてから、私はものへの執着を手放しました。
それを子供にも伝えていて、経験にはお金を出すが、モノはなるべく買いたくないと伝えています。
外食はほとんどしません。
食品は冷蔵後の中のものがゼロになるまで買い物は行きません。
誕生日などお祝いがあれば、子供達の行きたいところに文句もなく行きます。
あとは100点をとったら、好きなものを買うかご飯を食べに行く。
そのほうが「経験」として記憶にも残りやすいから。
自分に対しても自分が喜ぶことにはお金を出すようにしています。
だから、働くことも頑張れると言うのがあります。
仕事なしの専業主婦がシングルのスタート
私無職でしたので、お金がないと精神的にかなり不安定になると言うことを経験しています。
慎重な夫は準備をして、ものをたくさん揃える人でした。
それを使うことなく夫は亡くなり、むしろその処分にかなりのお金を投じました。
だからこそ、明治生まれのモノのない生活をしていた人の価値観が今の私の生活に役に立っています。
モノはなくてもなんとなかるけど、お金はあった方がいい。
だから無駄なものには使わない。
自分の人生の中心に何を置くかで、お金の優先順位が決まり、自分なりの「無駄遣い」と「有意義な使い方」が明確になります。
モノもお金はあの世には持っていけません。
だからこそ、今の自分のお金の価値観は持っていた方がいいですね。
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