傷の舐め合いだっていいじゃない
死別経験をされた人たちが、故人を想い話をすることは、私は大切で、前を向くためにも必要な時間だと思っています。
故人との思い出話を良かっと捉え、素晴らしい人と出会えた奇跡と捉えることができれば自分の人生を肯定できるようになるでしょう。
そういう場を私は月一回リアルでお会いするランチ会とオンラインで遠方の人とでもお会いできる飲み会を用意しています。(今はシングルマザーに限りますが、少しずつ広げて行こうかなとも思っています。)
そういう場を「傷の舐め合い」と言われたことがあります。
正直カチンと来ましたが、捉え方を変えていけば怒りも収まります。
カチンと来る言葉を言われた時の対処法
言葉とは、その人の生きてきた過程で作られているのだろうと捉えます。
「傷の舐め合い」と表現をした人は、自分が傷ついた時、人に弱音を吐くとこを許可していない人なんだろうと想像します。
きっとその人は傷付いても、誰にも弱音を吐かず、一人で歯を食いしばって乗り越えたのでしょう。
それはそれで素晴らしいこと。
その人にとっての正しさ(価値観)は「傷付いても、一人で頑張って乗り越える」ことなんです。
比較検討:私の経験からくる価値観
逆に、私はたくさんの人に助けられました。
むしろ自ら白旗を上げて、助けてくださいと頭を下げまくりました。
プライドもへったくれもないくらい、どうしていいかわからなかったから。
特に同じ境遇の人と話した時間は、私にとって勇気を頂いた経験でした。
感謝しても仕切れない想いで溢れています。
だから私は、上手に人に頼りながら自立して前に進むことが大切だと感じています。
たった一人きりで誰にもわかってもらえず生きていくなんて、とてもじゃ無いけど、無理でした。
だから、共感できる場を上手に利用して、傷を癒し、(言い方は大袈裟ですが)また日常という戦場に出て行くのです。
傷を舐め合ってもいい
前に進む道に繋がっていて、少しでも傷がいえるのであれば、傷を舐め合っても良い。
これが私の正しさです。
人はそんなに強く無い。
誰かに頼りながら弱さを強さに変えて行くものでは無いでしょうか?
傷つく言葉や、腹の立つ言葉を浴びせられた時は
この人はどう生きてきたのかな?と想像してみたら良いのです。
自分も死別という大きな経験をしたから、人生色々あると想像するのは容易いのではないでしょうか?
一人ひとりの経験は同じものなんて一つもないから、尊重はします。
そして、相手は尊重して欲しいという思いが必ずあるはずです。
目の前の人は、きっと人生でこれが正しいと経験から学んでいます。
私とはちがう経験をしてきたから、当たり前だなぁくらいに捉えれば気が楽では無いですか?
大切な自分の未来のために
イラッとした言葉を受けた時の確認事項
- その考え方は、自分の価値観と合っているか?
- その価値観を自分の未来に取り入れたいか否か?
ここを確認することで、その人との距離感(この人にどこまで話すか)とか、自分の今後の人生で関わる必要のある人がどうかの判断ができます。
きっと固定化された価値観を合わせるというのは難しい。
わたしはこの人には、もう死別関係の話はしないと決めました。
こういう一見ネガティブなことは、どんどん人生をシンプルにしてくれる、嬉しい気活かけとなります。
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