余計なおせっかい

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<この記事を書いた人>

もう12月も10日経ちましたね。

まだ職場では新人だからか、季節感がなくて年末の気持ちもすっとんでいました。

この間やっと来年は・・・なんて話から、年末年始だという気持ちになりました。

おかげさまで父は平穏に暮らしているようで、主治医の言うようお正月は迎えれそうです。

で、お正月・・・と考えていて、そういえば、父は自分の病気のこと誰かに言ったのか?と思って、母が誰にも言っていないと言っていたのを思い出しました。

だって今すぐいうほどの病状でもないし。みたいなことをいうのです。

私は家族の中で一番おせっかい。

なので、父方のいとこ(父の弟の家族)に良ければお正月に家族みんなでこない?と父の病状も含め連絡を取りました。

父の弟(私にとって叔父)は脳腫瘍で、10年以上前に亡くなっています。

叔母はその看病を熱心にしていましたし、その経過というのを一番知っている人。

いとこはすぐに叔母に連絡をすると言って、本当にすぐに私に連絡をくれました。

お正月まで待ってられないからすぐ行くから!と。

だっていつ何時どうなるかわからない、それを一番知っているのは叔母です。

お正月でいいよといったんですが、日にちを指定してくる約束をしたようです。

変なプライドと偏屈な父は自分から病気のことを言えないんですよね。

それに加えのんきな母。いうほどの病状じゃないというけど、体の中には大きながんがあるというのも事実。

私は夫を亡くしてます。

叔母もそう。

だから、死の価値観というかそれはひいては生への価値観はもしかしたら近しいものを持っているのかもしれません。

私は、なんで早く教えてくれなかったの?とか

会っておきたかったとかそういうふうに、ほかのひとの心残りになるのもすごく嫌ですね。

 

私は兄妹の中間子で、何かとそういうひととのつながりを調整するおせっかいなやつなんです。

私の勝手で連絡しましたと言っていたけど、そう会う人もいない父は叔母があいにくてくれるのは楽しみなんだとか。

全く変なプライドはややこしい。

やっぱりここまで来て思うのですが、ひとの性格、根本的なものっていくら大病してもなんとかなってしまう(今のところなんとか平穏に生きている)と人って全然変われないんだなぁとつくづく思います。

 

父にとって大打撃だったとは思うけど、私のようにそこから立ち直るまでもがいたりはしていない、あ、精神的にではなく生活的に。

そういうことになるとひとって変わらずにいきていくんだなぁと思います。

特に父のように変なプライドだけは脳梗塞になろうが変わらなかったので、死ぬまで続くんだろうと思います。

結果的におせっかいをして今回は良かったと思っています。

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