死別してから人と比べることをやめられない人へ。

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<この記事を書いた人>

 
同僚からもらった虹の写真。なんだか良い事ありそう♪
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どうしても他人と比較してしまうことってあります。

夫を喪い一人で子育てしていると、なんとなく周りに「負け」ているような感覚を持っていませんか?
人生の価値というのは他人と比べて優っているか否かで決まるものではありません。
しかも何が優っていて、何が足りないのかの基準も曖昧。
それによって勝った負けたというのも違います。
そんなことはね、きっと頭ではわかっています。
でも、しちゃうのよね。
人って不思議。
そこは立ち止まれば大丈夫。
今までの「幸せ」の価値基準を一旦整理しているところです。

幸せとはなんぞや?

自分は今まで何を「幸せ」と思って生きて来たのか?
言い方を変えれば、何を「幸せ」と刷り込まれて育ったのか?
それを今整理して、正直「捨てる」時なだけですよ。
それには時間がかかるでしょう。
今まで自分が正しいと思い込んでいたことだから。
これ取っ払っちゃうと楽ですからね。
今、とてもいい気づきを得ている最中です。
それだけだから。
そう、私たちは日々大量の「情報」というものを受け取っています。
そこで、例えば一軒家に住む、とかタワマンに住むとか、家族の形とは、夫がいて、妻がいて、そして子供が一姫二太郎、それが幸せの「形」というような情報を日々受け取り刷り込まれて育っています。
親(両親)はその親(祖父母)から受け継いだ価値観があり、それを私たちは代々引き継いで生きています。
育てられ方だってそう。
もし誰かと比較して、今の自分に価値を感じないならば、子供の頃に比較され、そして勝ち続けていたから、なのかもしれません。
しかも、親の価値基準のもと、勝ち負けがジャッジされていたのかもしれないです。
それがあなたの成功体験です。
そりゃ正しいと思うわけです。
環境とは死別のようなことがない限り、ゆっくりとゆっくりと変化します。
裏を返せばあまり変わらないで、むしろその価値観は強化されていきます。
だから、その間培って来た自分の価値を、死別という喪失体験で、全て無意味に感じてしまったり、今まで当たり前のものがない自分と変わらず持ち続けている他人とを比べて、負けたと感じているのかもしれませんね。
だから、そこで立ち止まればいいじゃないですか。
その価値って本当に正解?って問いかけるんです。

そもそも正解不正解なんてあるのかしら?

犯罪は不正解ですよ。
そういうことではなくて、自分の今まで正しいと思っていたことは本当に正しく、美しいものなのか?
角度を変えても、同じようにキラキラしていますか?
何を正しいと思っていたんでしょう?
一人で生きていくことは、ただただ寂しいものなのか?
寂しい時もあれば、実は気楽な時もあります。
そうやって、角度を変えることで、必ず違う部分も見えて来ます。
その瞬間、超絶幸せでも、私のように夫の死別という経験で一気に幸せとは言えないものになったりもする。
時間の変化もあります。
だから、壊れてしまったら、立て直すの。
大切なものは壊れずに残っていますから、それは拾って、あとは勇気を持って捨てればいい。
拾う時は、周りの人が大切に持っていそうなものを拾う必要はないからね。
それは比較する材料を集めているようなもの。
自分の大切なものは案外少なくて、それを大切にすればいいし、そこからそれに見合うものを取り入れればいいじゃないですか。
そして、自分を納得させるんです。
無理にじゃなくてね、心の底から納得する。
自分はこれ「が」いい、と。
そうそう、2枚の絵を見比べる「間違い探し」ってありますよね。
それって、どっちが間違いなんだろう?
ただ、違うってだけですよね。
人との違いってそんな感じで、ただ違うだけ。
いい悪い、勝ち負けはない。
ただ、その絵を自分が正しいと思うものを集めて、素敵にすればいいのではないでしょうか。
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