私の伝えたえたいこと、伝えられること(長文です)

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<この記事を書いた人>

数少ないママ友がハワイアンパンケーキを一緒に食べない?と声をかけてくれました。

私の勤めている会社は、仕事とプライペートの境目があまりないんです。

上司はいつも女性の幸せを考えているし、もちろん会社の発展も考えています。

色々とシェアしたい情報が四六時中飛んでくるし、朝早くからとにかくフルで動いている、そんな会社です。

先日の朝、そんな感じで、

あなたが伝えられることはこれだよ!

とURLが飛んできました。

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先日の朝、そんな感じで、

あなたが伝えられることはこれだよ!

とURLが飛んできました。

 

皆さんとシェアしますね。

私もそうですが、夫を亡くす前は、自分の命は永遠のような、というか、死とは本当にずっとずっと先のような気がしていました。

しかも、私の大好きな祖母は90歳を超える長寿だったし、死を自分のものとすら思っていなかったように思います。

そして、いろいろなことを先延ばしにしていたように思います。

でも、夫を亡くしたことで、嫌でも「死」について考えるようになりました。

この記事の文中に、

『もっとも手っ取り早い方法として、説明ができない「死」については「考えることを避ける」という方法を、多くの人がとるようになったのです。』

と記載されています。

でも、私は避けることなんてできず、なぜ彼は死んでしまったのか、なぜ人は死ぬのだろうか?死んだ彼はどうなっているんだろうか?…など、ガッツリ死と向き合いました。

考えざるを得ないという感じでしょうか?

とにかく、死というものをとことん考えました。

今ここで死に対する「答え」が見つかったかというと、それには至っていないということが、正直なところです。

ただ、人生には限りがあるんだと、それは先の先ではなく、若くてもやってくる。

しかもこんなにあっけなく亡くなってしまうんだと、それが現実に起こるんだと痛感したのです。

何で一人では生きていけないようなか弱い(笑)私に、こんな現実がやってきたんだろう?ということを考えるようになったのです。

夫が本当の私の運命の人だとしたら?と、すごくロマンチックに考えると方向性が見えて来ました。

この経験は彼からの最大のギフトなんだと思えるようになったのです。

人生は幸せになるためにあるし、そのために毎日があるのです。

それを彼の死を通して、死と向き合うことで、それに気づくことができました。

だから、毎日が愛おしいし、毎日が大変でも一日が無事に終わり、朝が来て目が覚めることが幸せです。

自分を喜ばすことに抵抗がなくなりましたし、子供たちに愛していることを伝えやすくなったし、ありがとうをたくさん言えるようになりました。

そして、それは言っても言っても足りないくらいだということも気がつきました。

それくらい、毎日は幸せが散りばめられているし、愛している人に愛や感謝を言っても足りないくらい。

でも、私も毎日死に向かって生きているのです。

だから、生きているうちに何ができるのか?

やり残しのない人生にするためには

  • 自分が何をしたいのか?
  • それができているのか?
  • 本当にそれが自分のしたいことなのか?…などなど

それを考え出したら、悩む時間がもったいないくらい、いい意味で忙しくなるのです。

私たちは、若くして、その死というものと対峙する、せざるを得ない状況になりました。

それは乗り越えるには、あまりにも高いかもしれないけれど、少しずつで良いので乗り越える方向の波に乗りましょう。

死を考えた私たちだからこそ、できることが必ずあります。

それを知っているからきること。

それこそ、死を怖がり考えることを避けている人たちに、何か伝えられるパワーがある。

私たちは、そんな底知れない力のある人たちなんだと、私は心から思っています。

人生を悲しいだけで終わらせるのは、あまりにももったいない。

この経験こそ、私たちの強みなんですよね。

それをどうか、生きているうちに気がついて欲しいです。

 

 

 

 

 

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