わざわざ泣く

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<この記事を書いた人>

夫を亡くしてから少し落ち着いてきた頃。

あれ⁇泣くってスッキリするな

という感覚が芽生えました。

感情的に泣くだけではなくて、泣くという行為を少し冷めた感覚で見られるようになったんですよね。
だから、泣くことはとても後ろめたい事のような気がしていたけど、そうではないと。
変な言い方ですが、これは「使える」と思っちゃったんですよね。
だから、泣けるアイテム、当初はKANさんの「まゆみ」と言う歌なんですが、それを用意しておいて、なんかモヤモヤする!なんか凹んだ!と言う時は、それを聴いて部屋で一人わんわん泣いていました。
で、ひとしきり泣いたら
あー、スッキリした!
と、子供のようにケロっと、今まで泣いていた事がなかったかのように日常にもどるのです。
人は慣れますから、それもしばらくすると飽きて(?)しまい、そのアイテムで泣けなくなり、終いには、敢えて泣いてスッキリする事自体必要ではなくなりました。
以前に、
オナラとかトイレとかもそうだし、体の中から出すってスッキリするよね〜
と。
お食事中の方ごめんなさい。
そんな事を話している人がいて、妙に納得。
泣くってその行為の一つなのかもしれないな、と。
平たく言うとね。
だから、泣くということ自体とても特別で、時にはとても美しく、時にはとってもネガティブなこと様に捉えるけど、そんなに特別なところに置いておかなくてもいいのかもしれないですね。
だから、もし泣いている自分を否定する様な想いにとらわれている人がいるなら、そうしなくて大丈夫。
それ自体良くも悪くもなく、とても自然な行為なのだから。
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