余白

スポンサーリンク

<この記事を書いた人>

血眼になって7年間突っ走ってきたように思います。

ここのところ仕事と、子育てが少しずつ落ち着きを見せはじめています。

とにかく仕事をして、子供にご飯を食べさせて寝るという生活に、資格の勉強をしたりスケジュール帳の余白を埋めるように何かを詰め込んできました。

それはもう全速力で。

で、ここにきて余白ができ始めました。

何もかも自分で子供のこともやっていました。

でも子供が手伝いをしてくれるようになり、彼らは彼らの時間を持ち始めるようになり、私もゆとりが出てきたのです。

子供のことを全部私がやるのが正しい母親だと思い込んでいたけれど、そうじゃなくて子供にやってもらう。

本当に些細位なことですが、自分の洗濯物を自分でたたむことをお願いしたら、あっという間に定着しました。

テレビを見ながらできるよ、と自分たちのしたいことと合わせてみたら、すんなりやるようになりました。

これは私の中ですごく進展で、子供が寝た後に洗濯物をきっちりたたむのが日課でしたが、多少ぐちゃっとしててもOK、そもそも子供に手伝ってもらうこともOKと自分に許可をし始めたらとても楽になりました。

自分は「こういう親であるべき」みたいなのが強く持っている人間だったようです。

でも、自分の気持ちを書き出してみたりして、自分のやりたいことをしていいと許し始めたらすごく楽になりました。

今日も午前中は子供達と外出していたのですが、帰ったらいつもの私は洗濯物をたたんだり、ご飯の準備に取り掛かったりとにかく、やりたいことをやるためにやらなきゃいけないことを片付けようと必死でした。

でも、今日は帰ってからコーヒーを2杯飲みました。

朝もコーヒーを飲むので、体のためにいつもは1杯に抑えるところだったのですが、今日は2杯飲んでみました。

その分ゆったりとした気持ちになれました。

そしていつもはご飯に取り掛かるのですが、それも後回しにして先にお風呂に入りました。

お風呂でスッキリしてから一気にご飯の支度をしたのですが、空っぽに近い冷蔵庫なのに、工夫して何品もおかずを作ることができました。

本当に私ってガチガチに「こうあるべき」に振り廻せれているんだなと改めて感じました。

それってすごい疲れる。

人に頼っていい。親だからって子供に頼っちゃいけないなんてこともなく、お願いしてみてもいいと許可をしたのです。

本当にすごく楽。なんだろう、この感覚って思います。

私って見えない何かにすごく遠慮していたみたいです。

もし、一人で抱えて一生懸命になっている人がいたら、私みたいに「こうあるべき」にとらわれて、一人で頑張っている人がいたら、自分の「やりたいこと」をしていいと許可してあげて、優先してみてください。

協力してくれそうな人がいたら、たとえ身近な人であっても頼んでみてください。

きっといつも一生懸命にやっているのなら、快く協力してくれると思います。

パートナーを亡くした方のカウンセリング

当事者として、寄り添ったカウンセリングをいたします。

お申し込みはこちら

↓クリックして応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

コメント