人はそれぞれ違いますから、相性というのが必ずあるもの。
夫と私は正反対でしたので、すごくある意味無いものを補い合っていていいバランスたったのだと思います。
親友のJも私とは真逆でせっかちな私に対して、のんびり屋。
そして、気が弱い私とは違って、出る時は出る!と芯の強さを持っています。
職場で合わない人がいて、どうにもこうにもお互い何をやっても引っかかるそんな相性の人がいます。
食事をしたら今日も美味しくなかったと言ったり、できない理由を並べて、手を伸ばせばできることをやらないとか、なぜそれを口にするのか私にはさっぱり理解できませんでした。
でも、もしかしたらそれが気になるのは私もそういう部分を持っているから?と最近思いました。
私も、やりたくてもやらない、やっていないことがまだまだ山のようにある。
夢リストを作ってみたものの、あ、やれるじゃんていうことをやっていなかったりもたくさんあります。
そんな自分は嫌だから、彼女に自分の嫌な部分を投影しているのかもしれませんね。
出会いにはなんだかしらの意味があるというふうに私は考えているので、彼女との出会いはそんなぐずぐずしている自分のお尻を叩くために出会ったのかもしれません。
それと、合う人と合わない人がいるということをリアルに体験しているのかもしれません。
大人になるとなんとなくその場で合わせられたり、乗り越えられたりするものですが、それはそれでじんわりストレスになったりしませんか?
ここまではっきり合わない人がいるとなると、そうも言ってられなくて、ある意味諦め、割り切りをしっかり学ぶためにここにいるようにも思います。
そして、本当に気の置けない友達と過ごす事で、自分は大丈夫だ。こんなにも楽しく過ごす友達だっているじゃないと思えるのです。
合う人と合わない人、こんなにもはっきりと分かれるほどそういう人たちがいるんだなと思うのです。
だから諦めがつく。
みんなと仲良くしなくてもいいそんな感じです。
自分の波動の合う人といる自分を大切にする。
それが自分を守る手段だということを学んでいるのかもしれません。
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