友達というもの

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<この記事を書いた人>

幼馴染と会いました。

最後に会ったのは、夫が亡くなる直前。

私はそれすら忘れていたのですが、彼女はそのことを覚えていて、これからパッチワークの一部を縫い合わせるように、もしかしたら私の記憶がつなぎあわさっていくのかもしれません。

無理に思い出そうとはしませんが、少しずつ必要な時に記憶が戻ってくるのかもしれないな、と思ったのでした。

私には、本当に友達と言える人が少ないです。

どこまでの人を友達と呼ぶのかは人それぞれだと思いますが、それにしても私は少ない方だと思います。

私の中で友達とは、尊敬する何かを持ちわせている人。

そして、会えばすごいなぁとリスペクトし、私も何か頑張ろう!と心の奥の方からふつふつとやる気が湧いてくる、この感じが友達という定義かなと思います。

世の中にはたくさん、素敵な人が溢れています。

それを見つけることが好きですし、尊敬もしています。

それは憧れのような感じで、そうなれたらいいなとか、真似したいなとは思いますが、そのふつふつ具合がないんですよね、私の場合。

友達は競うわけではないのだけれど、ふつふつと熱い生きる気持ちが湧いてくる感覚です。

そして、いつも一瞬で元に戻れる。変わったのに、変わらない時間がある。

私には、いろいろとあったけど、そんなことすら自分も感じない、ありのままの自分で居られることが本当に嬉しかった。

私の場合は、夫がいないこと、しかも突然亡くしたことを伝えなければならないという、なんとなく気の重い作業が待っていて、まず身の上話をしなければならない。

それをひっくるめて、前向きにやり残しの無いように精一杯生きているし、それが私の日常です。

でも、大抵眉間にしわを寄せて、大変でしたねーと声をかけられます。

人生でとても大きな経験であることには何ら変わらないのですが、でも、それでもとても温度差を感じることも多いのです。

それがとても複雑な気持ちになります。

あぁ、私って何か違うのかなって。

私はそのつもりはないのだけどね(今は)。

友達は、それもこれもひっくるめてのそのままの私で居られるのですごくリラックスできました。

この感覚が故郷に帰ってきた時の感覚と似てるのかしら?

私は田舎がなくて、いつも地元にいるのでわからないのですが、そんな風に想像しました。

何か、すごくホッとして、嬉しかった。

神様が、またベストタイミングで合わせてくれたんだと思います。

私が、気持ちの整理ができたこのタイミングで彼女に再会できたことを心から感謝。

神様ありがとう。

パパ、ありがとう。

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