マズローの欲求の階層説をご存じですか?
マズローの欲求の階層説・・・人間の欲求には「生理的欲求」「安全欲求」「所属と愛・社会的欲求」「自尊心」「自己実現」という階層があり、低次元の基本的な欲求が満たされることで、次の欲求が行動に進むという説です。
子供が小さい時に夫を亡くし、特に頼る人もいなくて完全にワンオペになると、この一番下の生理的欲求すらままならないときもあります。
眠れない、食事もゆっくりとれない・・・そうなると排泄も思う様にならなくなる場合もあります、どんどん満たされない状況になります。
私もここのところ、なんだかタイムスケジュールがうまくいかずに、ここの生理的欲求が満たされていない状況になりました。
そうなると、もう朝から不機嫌です。
欲求が満たされていないのだから、自然と言えば自然ですよね。
私は気持ちをストレートに出すタイプだし、もう限界となれば、子供もだいぶ自分のことを自分でできるので、私一人でさっさと寝たり、子どもの居ぬ間にゆっくりと食事を摂る時間を設けたりして、バランスをとるようにしています。
それでも満たされない日々が続いていました。
なんだか分からないけど、うまくいかないときもありますよね。
今ちょっとそれにはまりかけていて、自分は整えなければいけないところに来ているのだなと思っています。
あなたはどうですか?
もっともっとお子さんに手がかかる方だと、どんどん脅かされます。
夫が亡くなっているので、「少し休んでいいよ」と言ってくれる人はいません。
それどころか、親の世話までしなければいけない人もいるでしょう。
そこで自分を押さえて、我慢してまでやっていくと、どんどん自分の人生の中心を行くことから外れて行きます。
だから本気で、誰かに頼ることを考えて。
困っていることを困っていると言える勇気をもってほしい。
私はいつも「困っている人」でした
子供が未就学児の時は、とにかく私はいつでも困っている前提で動いていました。
何か助けてもらえる術があるなら教えてくださいというスタンスで、何か気になることがあればすぐに問い合わせていました。
役所にも足を運んで困っていると相談をしました。
そこで福祉的な部署の方と繋がり、ボランティアさんに学習の面倒を見てもらい、その中での人との関りを増やしたり、子ども食堂の情報をいただき、私は相当楽になりました。
そうやって地域の手を借りることで、自分の時間ができたり、お弁当をいただき、他の人の手作りの味を楽しんだり、小さなことかもしれませが一番最低限の欲求を満たすことの一部になってたと本当に思っています。
他の人との関りで、子供たちも成長します。
「生理的欲求」「安全欲求」は満たされているのか?
先ず、自分の欲求の階層説のせめて下の2段階(「生理的欲求」「安全欲求」)が満たされているのかをいつもチェックしてください。
ここを自分が我慢したり、遠慮して満たせていないと疲弊ばかりが募ります。
自分で自分を満たすことが大前提です。
助けてもらえるものを利用することは一見人に満たしてもらっているように見えますが、自分が選択したという意味では自分で自分を満たす行動ですから、遠慮なく使っていきましょう。
私が「助けてもらう」選択をした、率直な気持ち
今回、私がお世話になった方が退職することになりました。
その時、彼女に送った率直なメッセージを掲載します。
子供たちの事で色々とご迷惑をおかけした時も、フォローしてくださってありがとうございました。
本当にご迷惑ばかりおかけして、その中でも成長させて頂いたと思っています。
今は、長男は〇さんからのLINEを読んで、(学習支援に)行く日程を確認しております。
そこまでできるようになったのは、諦めずに向き合ってくださったからですね。
また、子ども食堂の連絡も欠かさずしてくださってありがとうございました。
私自身家事を少しお休みできて、本当に助かっています。
お弁当を毎回取りに行く次男のことを「大きくなりましたね」と連絡頂き、地域の皆さんに見守られているのだなと感じます。
死別後、当初は孤独でとても辛かったです。
勇気を出して〇さんに相談してさせていただき、今では様々な方の見守りの中子育てできる環境になりました。
ひとり親でも、私は幸せですね。
献身的に私の話を聞いてくださってありがとうございました。
余りにも頑張っている人いへ、色々な人に頼ることを許可する頂くきっかけになるといいなと思って今日のブログを書きました。
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