涙のパワー
最近夫を思い出して泣くことは本当に少なくなりました。
でも、ゼロじゃないです。
命日になれば、未だに、なんで彼は死んでしまったのだろうと思い、涙が出てきます。
悔しいです。
夫の良さを子供達は知らずに育ってしまったと思うこともあります。
それでも子供達は逞しく育ってくれています。
それはそれで誇りに思っています。
涙が出れば、私にもこんな感情がまだ残っていたのだという確認になります。
それは、すごく私の中で癒される行為なのです。
彼に対して、10年変わらず尊敬し、生きていて欲しかったという想いからする涙は、ある意味誇りです。
そんな風にずっと思い続けられる人との出会いをできた人生なんて奇跡ですよ。
死別後楽になったのか?
10年経って楽になりましたか?という問いに対しては、正直とても楽になったと自信を持って言えます。
それは大好きな彼だから、向き合いたくさん泣いたからです。
思い切り感情が乱れるほど泣き暮らしたあの時間は、私にとってとても意味ある行為で、だからこそ、私の自信や楽さに繋がっているのだと思えます。
その時は苦しいです、這い上がれる気がしませんでした。
だからこそ、思いのまま泣きました。
涙が止まらないんです。
とにかく油断していたら涙か出ます。
空を見上げても、お笑い番組を見ても、子供を抱っこしていても、とにかく涙が出るのです。
もう、泣くのも疲れたな、と思っても涙が出ます。
外でこそこそ泣きながら帰って、部屋に飛び込んで大きな声を出して泣いていました。
もう辛くてしかたなくても、出るものは仕方ないから、泣き続けました。
自分の目指すものに必ず向かいます
私の中ではいつも、「こんなに苦しいのは嫌だ。だから死んでしまいたい」ではありませんでした。
「こんなに苦しいのは嫌だ。だからどうにかこのトンネルを抜け出したい」でした。
だから、泣きながらも、私の目指すところは、光あるとこでした。
苦しいから這い上がりたい、苦しいから楽に「生きていきたい」を目指すのであれば、そちらに向かいます。
今もし泣いてばかりでも、それがあなたのゴールに向かうまでの必要な過程なのです。
過程の中ではわかりません。
でも、わかる時がきます。
わかる時に、また違うゴールを見つけているので、また戸惑うこともあるでしょう。
それは、自分が苦しいところへ戻ったのではなくて、違うステージに立っただけ。
小学生の時、6年生はみんなのお手本、かっこいい6年生でいましょうなんて言われるけれど、中学に入れば平々の何もわからない1年生。
そんな感じで、超えれば、また違うステージでのカルマが待っています。
例えば、死別後になんとなく夫の死と向き合わず、変わらず生きていたのに、落ち着いた頃に、夫の死と向き合うことになった場合、夫の死の直後に戻ったわけではなく、違う段階のあなただから、準備整いましたね、と向き合う時間が来るわけです。
満を持してその時がきたのです。
誰が味方ですか?
答えは、自分と旦那様です。
彼との思い出があれば、あなた自身を乗り越えられるでしょう。
私は、辛い時苦しい時、死別当初の自分を思い出します。
そして、あれを乗り越えたから乗り越えられないものはないと必ず思うようにしています。
実際そうですしね。
その時に思い出し泣くことは、私の大切な一部だからです。
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