見えない敵がいた
死別後2〜3年。
仕事も落ち着き、夫のいない生活にも慣れた頃。
私は、何かと戦っていました。
誰かに何かを言われたわけではないけれど、とにかく子どもたちには不憫な思いをさせたくないという想いが私の生きるモチベーションでした。
北と南から攻める!
私は、意気込んで、息子二人と沖縄、北海道(行きは電車)へ旅行に行きました。
沖縄は、ペーパードライバーから卒業した思い出の地。
畑につっ込んだりもしましたが(汗)、基本的に走りやすい道で、私の運転復活を応援してくれているようで、嬉しかったのを今でも覚えています。
運転上手な夫と結婚して、私はハンドルを握る事がなくなりました。
「真弓は助手席でいいよ」と言われ、運転が好きだったにもかかわらず、彼の言われるがまま、いつも安心して助手席に座っていました。
何にもできない自分だけが残った
夫が亡くなり、何もかも自分でやることは、最初は全てがきつかったです。
色々なことを自分は夫に委ね、私は何もできない自分になっていました。
彼無しに生きていけない、というのはこういうことを言うのかと、毎日夫がいない現実を突きつけられるようでした。
夫がいたら、〇〇できたはずは基本的に使わない
でも、ここで負けん気が発動します。
とにかく夫がいないからを言い訳にしたくなかった。
私の頑張るルールはこちら
- なるべく一回は自分で調べて、頑張ってみる。
- やってみてから、お手上げなことは誰かに助けてということ。
- それでもダメな場合、プロにお金を払ってしまう。
まず1、を死の後の言わず頑張ってみると、できるようになることが増えます。
この気持ちは本当に「悲しい」なのか
できる事が増えるとこんな気持ちに気がつくかもしれません。
それは、気が付かない方が悲しいままでいられる事なのです。
だから、悲しくて何もできない方が楽と言えば楽。
ただ、できる自分ってなんかいい感じ!と思えるようになればそれはまた違う世界が広がります。
今の時代を大いに利用して、悲しさからの脱却を!
本当に私の死別してた10年前とは全く違う世界です。
配線関係も、小難しい取扱説明書ではなく、わかりやすく楽しく教えてくれる動画が溢れていて、便利だな!と本当に思います。
寂しさを解消する方法も、調べればたくさん出てきますよね?
だから、全てが寂しいというのは錯覚なのかもしれません。
日々の少しの不便を自分でできるようにすれば、寂しい、悲しいの量が変わってくる。
むしろ自分がどんどん好きになってくる。
自分ってこんなこともできたんだ!という発見が増えると、なんだかそれを教えてくれた夫の死にも感謝が湧いてきます。
私は、変な負けん気の強さを持っていて、よかったと思います。
今子どもたちと沖縄、北海道に行った時の写真を見ています。
表情がピカイチキラキラしていて、本当に誇らしい。
心の中でそうつぶやいてください。
あなたには、できることがたくさんあります。
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