一旦まとめてみよう

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<この記事を書いた人>

半年限定のカウンセリングを受けて、私は沢山の気づきがありました。

パパの事。
何度も何度も同じ話をして、パパの事を話す内容がだいぶまとまってきて、なぜ、どうしてはあるものの、自分に起こった事実として、だいぶ客観的に話せるようになってきた、と言うこと。
自分の辛いこと、話すのは辛いけど、何度もなんども飽きるほど話すことは大事です。
その事実が話すたびに軽くなるような感覚になる、と3人目のカウンセラーで実感が出てくる頃でした。
義実家について、自分が想像する以上のうっぷんがたまっていました。それを心の赴くままに言葉にして、それはすごくスッキリできました。
気取らずに吐き出すことの大事さを体験しました。(本当に汚い言葉で吐き出しました)
母への思い。
母への感謝と今までの不満。
実はこれが私の本当の悩みだった事がわかった。
パパの事よりももっともっと深かった。
ここが私の根本を作ってて、それがパパへのことをよりネガティヴに捉えたり、頑張っている自分を自分が認めるのではなく、誰かの(母の)評価で決めようして居たと言うことがわかりました。
自分の心の奥底の小さい頃から育ててきた考え方、捉え方が歪んでいることがわかりました。
そして、自分の感情だったり気持ちを抑えなければいけないと、どこかで制御していきてきたというこに気がつきます。
そして、自分の気持ちを客観的にみて、いいことも悪いことも言葉に出して自由に表現していいのかもしれない、自分はもしかしたら自由なのかもしれないと気がつくのです。
そして、トライアンドエラーで、自分の気持ちを母に言うことで、言っても良いし自分がどこまで言うべきかも自分で決められると言うことと、どこまで言うことがストレスがかからない限界なのかを試せるようになります。
その経験から、私がいろいろなことをネガティヴにに捉える傾向があることに気がつき、パパのことも義実家のことも、母のことも父のことも私の捉え方が全てを決めているのかもしれないと徐々に気がつきます。
まだ、そんな自分を肯定的に捉えることができないのですが、気づくことで何かのスタート地点に立てたような感覚に気がつくのです。
全てネガティヴに自分を否定するようなことにつながっているのではなく、事実ひとつひとつ実はバラバラで、私を攻撃しているものでもなんでもないと言うこともわかってきます。
だんだん、客観的に事実を捉えられるようになってき始めた時ですね。
私は、何度もカウンセリングをお勧めして居ます。
死別のこと、大切な人の死を語るのはとても苦しいことです。
私のように、夫のことで苦しんでいる上に、自分の奥底に親子の問題が出て、余計に苦しみが出てくる場合もあります。
でも、これって自分の人生の膿出し期間になるチャンスの場合もある。
私の場合は今現時点から考えると、人生でこう言うピンチをチャンスに変えるタイミングがあって本当に良かったと思います。
今は、とても楽に生きることができているからです。
やっぱり私の課題だった。
パパが運命の人で、そう言う課題をクリアするためにこの事実が起こっていると考えれば、自分の身に起こっていることは、全て必要だから起こっていると肯定的に捉えることもできます。
そう言う訳で、私は半年間のカウンセリングを終えることになります。
カウンセラーの先生3人目。
カウンセリング歴1年、と言ったところでしょうか。
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