おばあちゃんのこと。

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<この記事を書いた人>

私の幼少期の家族構成は父、母、兄、私、妹(3つ違いです)母方の祖母の6人家族で生活していました。

いわゆるマスオさん状態ですね。

祖母は明治生まれで昔で言えば超高齢出産で母を出産したので、私が生まれて物心ついた時にはもう「おばあちゃん」でした。

だけど、私はそんなおばあちゃんが大好きで、おばあちゃん子でした。

祖母はキャリアウーマンで、事業で成功しました。

だから悠々自適な生活を送っていました。

おばあちゃんはいつでも綺麗にして、ダンスに出かけたり、何か創作したり(日本人形を作ったりとかしてました)、日本画を描いていたり(これには本当に影響を受けて私は絵を描くことが大好きです)、とにかく上品な遊びをしている人でした。

私は、嫌なことがあればおばあちゃんの部屋にいたし、テレビを見るときも兄妹でおばあちゃん部屋でドラゴンボールを見ていたなぁ。

おばあちゃんはお小遣いをくれることもなかったし、ケチでした。

たまーに暑い夏にラクトアイスを買ってくれたり、おけいこの帰りにみたらし団子を買ってきてくれたり。

たまのことだったからよく覚えています。

亡くなった時に私たちのために通帳を用意してくれていて、かっこいいと思ったし、そうそう、亡くなる時は自分の体を検体に出して、最後まで人の役に立った人でした。

90代まで生きて長生きだったし、検体に出したもんだからお葬式も笑顔が多かったな。

検体だから、お葬式に病院の人かおばあちゃんをひきとりにきてくれて、しばらくしてから戻ってきて火葬場でひっそりお別れしたのを覚えています。

みんなが穏やかに送る…大往生ってこういうことなんだと思ったのです。

長生きしたいなぁってつくづく思いました。

それと、マスオさん状態の父でしたが、よくおばあちゃんとケンカしてました。

うちはチャキチャキの江戸っ子なので、ケンカと言うよりも言いたいことを言うのが当然と言う家庭環境と私は受け止めてます。

だから、ケンカしたってなんだって、しばらくすれば元の家族に戻ると思って育ちました。

実際それでここまで来てますし。

なので、自分の意見は言う。後腐れないと言うのがうちのスタンス。

私はこれが当たり前でしたので、パパと結婚した時に子供はここまで親に気を遣うものなのかと驚きました。

話は逸れましたが、私はそんな明治生まれのおばあちゃんと一緒に育ちました。

続く。

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