ついつい戦ってしまう人たち

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<この記事を書いた人>

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自分を守るには自分を律することは大切です

自分の中の譲れないものを持つ、自分のプライドみたいなものは持っておくことです。
アイデンティティは大事です。
例え私のような死別という一見ネガティブな経験も、自分の一部であり、丸ごと受け入れることで、自己肯定感にアップにもつながります。
自分を律する上で、人とぶつかることもあるでしょう。
人はそれぞれ唯一無二であるし、ピッタリと重なり合う価値観の人はいないから自然なことです。
だから、戦うこともありますね。
戦闘モードに入ると、アドレナリンが出まくって、絶対勝つ!みたいな、そこまでしないと気が済まなくなったり、後に引けなくなったりすることもあるでしょう。
その「勝ち」の先に何が残るのか?
それこそ、今戦争が始まっています。
その勝ちの先に何があるのだろう?と、考える癖は必要ですね。
振り上げた拳が、引っ込みがつかないからやり続けるというのもまた違います。
これはしんどい「プライド」です。
勝ちの先には、きっと自分の満足感や達成感みたいなものが得られるかもしれません。
でも、周りにはきっと何もなくなるのです。
戦争で例えれば、建物も、人も…そして、人の心事態が無くなってしまう。
自分の周りに何も無くなってしまうことでしょう。

その先に何が残るんだろう?

生活の中でも、日々そういう戦いってありますよね。
どこかにいつも自分の冷静さを持ち合わせていないと、結局その先に待っているのは「孤独」のような気がします。
冷静な部分を持ち合わせていたら、きっと相手が少し友好的な理解を示した時にはっと気が付くことができるでしょう。
そこでいくらでも修正できます。
怒りを振りかざしている自分を理解しようという、前向きなアクションをしてくれる人には、一旦上げた拳を下げていいのです。
何も格好悪ことではない。
きっと自分のことを客観的に見ることもできるし、相手のこともいい部分が見えることもあるでしょう。
人を打ち負かすだけが勝ち方ではないということです。

新しい自分にも出会えます

ニコニコしながら自分の思う通りのゴールを手に入れることだって、場合によってはできますよ。
いつもいつも、なんだか気に食わない。
なんだか周りに不満を持ってしまう。
周りはバカばっかり。
そんな風に感じるなら、自分の中の譲れないものがあるのだと思います。
でも、それは相手も同じ。
それをどこまで歩み寄れるのか?
そこをどれくらい楽しめるのか?
そこに楽しさがないと、相手は逃げるしかなくなります。

 

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