ずっと繋がっている

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<この記事を書いた人>

今日出かけた帰りの電車が、やけに人が少なくて、心がざわざわした。

兄に先日
最近変わったな
と言われました。
その時に、それこそ走馬灯のように、この8年という年月をスローなんだか倍速なんだかわからないけど、一気に情景が浮かんできました。
その光景の中で一番鮮明だったのは、総武線の中で一人泣いている自分でした。
空から自分を見下ろすように、少し上から自分が見えました。
私は電車のは隅の席でシクシクと泣いているのです。
その時の記憶は確かにある。
でも、なぜ私は私を少し上から見下ろしていたんだろう?
その時の私は、まだ働けずに職業訓練に通いだした頃。
一車両に4人くらいしか乗っていなくて、私は一人座席の端に座り、手すりに頭を預けて、シクシクと泣いたのです。
もう、悲しいとか苦しいとかそんな感情すらなくて、ただ涙がとめどなくあふれました。
一応人目を気にしてシクシクと。
涙が枯れるほど泣く、なんて言うけれど、それは嘘。
私は涙って枯れる事はないんだ、思っていました。
それを思い出し、
まあ、そうは言ってもやっぱり大変だったもん
と自然に言葉が出てきました。
今の私はゲラゲラと笑い、何があってもまず笑う。
私の周り笑顔キャンペーンの日々な訳ですが、そんな時もあったなぁと。
あんなに泣き暮らした日々があって、それは悲しい思い出だけれども、それをまるごと認めてあげた気分。
今私は急に笑えるようになったわけじゃない。
それなりに自分のペースで、アップダウンしながら、今ここで笑えているんです。
それを切り離して、今お気楽にやっているように見られるかもしれない。
キラキラして、やりがいのある仕事につけているように見えるかもしれません。
でも、他人から見てそうみられるんだったら、それはそれでいいと思うんですよね。
そう言う部分を切り取って発信もしているわけだし。
私が私を知っていてあげれば良い。
若干私が、それすら忘れていて、なんだかキラキラした自分にフォーカスしすぎていたのかな。
過去の、あの時の自分からのメッセージだったのかもしれません。
私はいきなり突然変異的に、ゲラゲラ笑う私になったわけじゃない。
きちんと悲しんで、思いっきり泣いて、とことん苦しんで、目一杯不安を抱えていました。
それひとつひとつを時間はかかったけど、味わってきました。
その感情を無視せず、味わった。
味わい尽くしたと言っても過言ではない。
それが今のわたしにつながってる。
だから、ネガティヴな出来事は私にとって宝でもあるんですよ。
それがあるから、それを知ってるから今が幸せだと感じられる。
何も希望を持たずにスタートしたけど、いつしかひとつひとつネガティヴを味わい尽くせば、そのネガティヴに飽きてくる。
違うものを探したくなる。
前へ、前へ。
人生なんて波がありますからね。
またそう言うネガティヴがやってくるのかもしれません。
それならそれで味わえば良いっていう、なんていうか心づもりが出来上がっているのかもしれませんね。
今日の電車の中の私は、過去の総武線の私と繋がって、過去から今をしっかりと繋いでくれたようです。
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