夫があんなに辛かったのに、私は楽しんで良いのだろうか?と思う人へ。

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<この記事を書いた人>

旦那様の介護をされた方、はたまた精神的に辛い夫を見守り続けた方で、遺された自分が楽しんでいいのか?と思っている人は少なからずいらっしゃると思います。

あんなに夫は辛そうだったのに、夫は亡くなって、私は遺されて、そんな私が人生を楽しんでいいのだろうか?

そんなふうに思っていませんか?

もし、思っている人がいたら、逆になぜ楽しんではいけないのかを教えて欲しいです。

そして、そんな抵抗がある場合、どこかに楽しみたいという気持ちがあるという自分を、見ないふりをしていないか考えてみてください。

私たちは夫を亡くしたことを悔いる部分はたくさんあるでしょう。

でもそれを償うために遺されたのでしょうか?

悔しい気持ちはあるのはわかります。

私も、自分に、夫に、夫に関わる人たちに対して、悔しい気持ちを持った経験があるから。

でも、色々な角度から、自分や夫、夫の死、はたまた夫の生き様を嫌という程考え、それで出した答えは人生楽しむために生まれたきた、と言うこと。

辛い経験は、それに役に立ちます。

変な言い方かもしれないけれど、辛い経験をしているからこそ、幸せを感じられることもあるでしょう。

逆に楽しいから、寂しさを感じることだってある。

ただそれを「楽しんではいけない」と制限をかける必要はないと思うのです。

楽しければ素直に楽しいと。

嬉しければ素直に嬉しいと。

自分のあるがままの自分の感情を素直に、制限なく感じてみてはいかがでしょうか?

あぁ生きてきてよかったな。

あの時、苦しかったけど、それでも今も生きていてよかったな。

夫がいなくても、あなたがあなたとして一人の人間として、一瞬でもこの人生でよかった!

とか

この人生を味わって、苦しんだ分、楽しんで、幸せになっていいと思うんです。

だから、自分でまず制限をかけないで。

あなたは旦那様と苦しむために出会ったの?

幸せになるために出会いました。

でも、お別れしました。

このなんとも矛盾のような感覚は死別を経験した人にはわかってもらえるかなと思います。

まず自分を開放して、だめとか自分で決めないで、楽しみたいと思ったら、楽しめば良い。

今すぐにでもね。

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