死別したばかりの年末年始の過ごし方

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<この記事を書いた人>

会社からみかんのお裾分けが届きました。田舎のない私にとって、こう言う贈り物はすごく嬉しい。

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家族旅行

夫を亡くして、喪中の年明け、私は、家族で箱根の温泉に行きました。

この提案をしてくれたのは、母でした。

家にいても仕方ないと、少し良いホテルを取ってくれて、とにかく引きこもりの私を家から外に出してくれました。

正直、その時の記憶っておぼろげです。

覚えていることといえば、箱根登山鉄道で私だけ離れた席に座り、一人泣き続けていたこと。

年始の箱根なんて、おそらく人がたくさんいたんだろうけれど、それすら覚えておらず、とにかく電車の中で泣いていた自分だけを覚えています。

気晴らしになったかといえば、そうでもなく(汗)、正直何したって、どうにもならないんですよね、あの時は。

年末だから、とか年始だから、とか、そんなの関係なく時が止まっていた様に思います。

ただ、周りはソワソワします。

お祭りムードで楽しそうにしています。

だから、格別自分が不幸に感じるんですよね。

でも、それは世の中の一部なだけであって、全てではない。

そういう仕事をしなければ、生活できない人もいるわけです。

必ずしも皆が心からお正月をハッピーでいるわけではないですからね。

だから、しんどかったら、その世間的な流れから距離をおけば良いじゃないですか。

そのために「喪中」というシステム(?)がある

喪中ですから!と、堂々と悲しかったら悲しめば良いし、泣きたかったら泣けば良い。

来年の今頃は、あの時間はあれでよかったと思えますよ。

だってそれが自然なことだから。

笑うことすらできないなら、しばらくはそれで良し、としましょう。

今年は幸い(というと語弊がありますが)、コロナでstayhomeと言われています。

だから、家でじっとしていたって(それこそ泣いていたって)それが良しとされていますよね。

身体に傷がつけば、堂々と安静にできますが、見えないところが傷ついていますからね。

自分がそれに気がついて、自分が安静にすることを良しとしないと。

世の中そこまで気遣ってくれる人は、正直自分以外にいませんからね。

自分に甘く、自分に優しい年末年始をお過ごしください。

 

 

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