言われて嬉しかった言葉:これが真意かもしれません

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<この記事を書いた人>

アンケート結果で、私は、これが私たちの周りにいる人たちの真意なのかもしれない、と思って、この言葉はまとめずに掲載させていただきます。

この言葉を教えてくださった方、本当にありがとうございました。

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「何もできない自分が後ろめたかった」

私は、この言葉をアンケートで拝読した時、あぁそうかとやっと、私を見ていた人の気持ちに視点が置けたと思えました。

それまでは結局自分からの視点で、物事を考え、自分の気持ちに折り合いをつけることに必死になっていただけのような気がします。

それはそれで、現時点の着地点としては良いので、これで良かったと思います。

ただ、私や、あなたの周りの人がこんな気持ちを持って、あなたを遠くから見ていたり、肩をポンと叩こうとしたけれどその手を引っ込めてしまっているのかもしれませんね。

私は、経験した人でないとこの気持ちは誰にも分らないと、わかってもらえるはずが無いと思っていました。

それは今でも根底にはあります。

 

でも、経験していない人はしていない人で、「わかってあげられない」「どうしていいかわからない」でも、何をしていいかもわかないと言うことが痛いほどわかるから、そんな自分や変わらない生活を後ろめたく感じてしまっている人もいるのではないでしょうか。

気楽に「わかる〜」と言う人もいるけれど、そうすることすら憚られて、自分のことを後ろめたく思っている人がいるのか、と。

案外、私たちの周りは優しさに溢れているのかもしれません。

 

 

 

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