自分を褒めること

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<この記事を書いた人>

昨日ランチを楽しんでいた時に、やっぱり「自分」の心の持ちようが引っかかってしまった。

私って、いつまでもいつまでも自分を認めてあげていない。

多分、自分の理想が高すぎて、そこに達していないのでまだまだなんて思って、ずっと走り続けているのかな。

自分のことを褒めるのがすごく苦手。

自分を認めるのも苦手。

きっとそれは、褒められて育っていないから、どう自分をほめていいのかわからない。

親のせいにはしたくないけど、怒られもしなかったけど褒めてももらえなかったなぁ。

ずっと私は母親からの愛情不足を感じています。

あ、違うか、愛情の表現不足を感じているというのかな。

だから、私も連鎖的に子供にしてしまっている。

目に見える愛情っていうのも時には欲しいものなのですよ。

言葉にしてみるとか、抱きしめてもらうとか、きっと手をぎゅっと握ってもらって、「あなたなら大丈夫!」とか肩をポンと叩かれるとか?

母は自他共に認めるそういうのは苦手な人。

妹はそんな母を自由に育ててくれてよかったと言う。

私は、そう感じないんだから、やっぱり私の心の捉え方。

人前でけなされたことばかりがずっと心に残っていたりするんですよね。

それは私が中間子だから?

こんな歳にもなって、こんなこと言ってるのでなんだかなぁと思うのですが、そこでずっと行き詰まってしまうことが多くて、ずっとずっと自分がかわいそうって思うのです。

ここまでの生きてきた道を人に話すと、「なんで?頑張ってきたじゃない」とか、「大変だったね。頑張ってるね。」「すごいね」と言われることも多くて、「え?そうなの?」という感じ。はっとするんです。

それは、きっとパパの死に対して、少なからず自責の念があって、戒めるように頑張ってきたからなのかもしれないな。(書いていて思い始めました。)

自分のせいでパパが死んでしまったので、辛いのは仕方ない。頑張らなきゃいけないのは当たり前って思っているのかもしれません。

それをいつしか、親のせいにすり替えているのかもしれませんね。

だから、それを褒めることとしてはいけないと自分で禁止しているのかもしれません。

最近、「そろそろ自分を認めていいよ」という天使と「嫌、まだまだ。パパだって好きでなくなったわけじゃないんだから」という悪魔が戦っているのかもしれません。

なんとなく、だんだん自分を認めないと苦しくなってきて、どこか突破口を見つけ出したのかも。

戒めで生きるのと、それを認めて、自分の人生を生きていくこと。残りの人生は後者の生き方がいい!と自分のインナーチャイルドが叫び出したような気がする今日この頃。

いやぁ、今日も私迷走しています。

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